ここのところ折を見ては「隅田川」に架かる橋とその周辺の歴史を訪ねて写し歩いているのですが、その中に「高尾稲荷神社」と言う所が分からなくて近くまで行っていたのに見付けられずに残念な思いで帰って来ていたのです。なにしろ地図も持たずに適当に歩いているので見つかるはずはありません。ところが昨16日「永代橋」から「豊海橋」を見て周辺を少し散策しようと歩いていたら、小さな神社が目に入ったので近づいてみたら「高尾稲荷神社」だったのです。この稲荷は万治元年(1659)12月、隅田川に流れ込む「北新堀川」岸に流れ着いた花魁の遺体を近くに庵を構えていた坊さんが哀れに思い引き上げ弔ったことから始まります。その花魁は当時「吉原」で人気ナンバーワンの高尾太夫だったのです。前々からこの高尾太夫を気に入っていた仙台藩主の伊達網宗候はようやく大金を積み身受けをして意気揚々と船に大夫を乗せて江戸屋敷へ帰る途中、どうしても意に沿うことが無かった高尾に腹を立て船中で吊るし切りにして川に捨てたものだったのです。僅か19才この哀れな話を耳にした周囲の住民たちが神社として祭り現代に至っているのです。このご神体は高尾太夫の頭蓋骨で今でもお祭りの際には御開帳されています。


